本文へスキップ

学習法・勉強のコツ

「わかったつもり」は、勉強した気にさせてくる詐欺師である

解説を読んで「なるほど」で閉じた問題は、だいたい本番で牙をむく

学習法・全受験者向け・約8分・更新 2026-06-04

学習法・勉強のコツの記事

白状する。私は「わかったつもり」の常習犯だった。

資格の勉強を始めたころ、私は問題を解いては解説を読み、「なるほど、そういうことか」と深くうなずいて、次の問題へ進んでいた。1日に何十問も。手応えは抜群だった。「理解できてる」と、確かに思っていた。

そして迎えた最初の模試で、私はみごとに爆死した

あんなに「なるほど」と言ったのに、いざ問題を前にすると手が止まる。解説で読んだはずの解き方が出てこない。頭の中には「うっすら見覚えがある」だけの霧がかかっていた。犯人は、はっきりしている。「わかったつもり」だ。

模試の会場で、私の鉛筆はぴたりと止まった

最初の模試の日のことは、わりと覚えている。

席について問題用紙をめくった私は、最初の数問でいやな予感がした。「あれ、これ、解説で読んだやつだ。読んだのに……どうやるんだっけ」。手が動かない。さっきまで“理解していた”はずの解き方が、頭の引き出しを開けても見つからない。あるのは「なんか見たことある」という、ぼんやりした既視感だけ。

焦ると、余計に出てこない。時計の秒針だけが、やけに大きく聞こえた。結局その模試で、私は“読んで知っているはずの問題”を、いくつも落とした。手応えと点数がこれほど違うのかと、静かに愕然とした。

家に帰って、私はようやく認めた。「わかっていた」んじゃない。「わかった気になっていた」だけだ、と。

「わかったつもり」は、勉強した気にさせてくる

やっかいなのは、こいつが“勉強した充実感”だけはしっかりくれることだ。解説を読んで理解できると、脳は「できた」と勘違いする。でも、解説を読むのは答えを見ながら道を歩いているだけの状態にすぎない。ガイド付きで登った山を、「自分ひとりで登れる」と思い込むようなものだ。

本番には、ガイドはいない。だから、わかったつもりは本番でいちばん牙をむく。模試や本試験で「あれ、解けない」となって、ようやく私たちは霧の正体に気づく。たいてい、遅い。

私がハマった“わかったつもり”の穴は、だいたい3つだった。順番に白状していく。

なぜ私たちは「わかったつもり」に逃げてしまうのか

ここで一回、敵の正体を見ておきたい。なぜ人は、こんなにも簡単に「わかったつもり」になるのか。

理由はたぶん、シンプルだ。「理解できた」という感覚が、純粋に気持ちいいから。解説を読んで「あー、なるほど!」と腑に落ちる瞬間、脳には小さなご褒美が出る。いっぽうで、何も見ずに自分で解くのは、面倒だし、できないと地味に傷つく。ラクで気持ちいい「読む」と、しんどくて怖い「自力で解く」が並んでいたら、人は自然とラクなほうへ流れる。

私もそうだった。解説を読んで「わかった!」を10回くり返すほうが、1問を自力でうんうん唸って解くより、ずっと気分がいい。勉強した感もしっかり出る。でも、本番で点をくれるのは、気分のいい「読む」ではなく、しんどい「自力で解けた」のほうなのだ。残酷だが、そういうルールになっている。

クセ①:解説を読んで「なるほど」で閉じる

いちばんやりがちなやつだ。間違えた問題の解説を読み、「なるほどね」と納得し、ページを閉じる。私はこれを何百回もやった。

でも、「読んで理解できる」と「何も見ずに自分で解ける」の間には、思っているより深い谷がある。解説は、いわばカンペだ。カンペを読んで「わかる」のは当たり前で、本当の問題は、カンペを伏せた瞬間に同じことができるか、なのだ。

直し方はシンプルだ。解説を読んだら、すぐ閉じて、何も見ずにもう一度その問題を解く。スラスラ再現できたら本物。途中で手が止まったら、そこがまだ“わかったつもり”の残骸だ。この「閉じてやり直す」をやるかどうかで、定着がまるで違う。

クセ②:正解した問題を、二度と見ない

間違えた問題は復習する。でも、正解した問題は——もう見ない。当然できる、と思っているから。ここに罠がある。

正解の中には、“なんとなく当たった”が、けっこう混ざっている。私は昔、4択でどうしても分からない問題を、消去法というより勘と雰囲気で選んで当て、それを堂々と「できた問題」に分類していた。本番で同じ論点が、ちょっと言い回しを変えて出た瞬間、私は何も思い出せなかった。当たり前だ。最初から、分かっていなかったのだから。

だから○か×かではなく、「なぜその答えになるか、一言で説明できるか」で仕分けてほしい。正解でも、理由を言えなければ“まだ分かっていない問題”だ。説明できない正解は、次に不正解になる予約席である。

クセ③:手を動かさず、目で解く

これは特に、簿記やFPの計算、基本情報の科目Bで効いてくる。

問題集を開き、頭の中で「えーと、ここがこうで……うん、わかった」と“目で解いて”次へ進む。私はこれで、仕訳を完全にマスターした気になっていた。電卓も紙も使わず、ただ眺めて。

そして本番、いざ電卓を持つと、手が止まった。頭で分かっている(つもりの)手順が、指に下りてこない。「わかる」と「手が動く」は、まったく別の能力なのだ。スポーツと同じで、フォームを目で見て理解しても、体は勝手には動いてくれない。

面倒でも、計算問題は一度は自分で書いて、最後の数字まで出す。遠回りに見えて、これがいちばんの近道だった。

ちなみに、私が一番ハマったのは「計算もの」だった

科目によって、わかったつもりのたまりやすさは違う。私の体感では、計算や手順ものがいちばん危ない。

簿記の仕訳がそうだ。解説を読むと「借方が現金、貸方が売上、なるほど」と完全に納得する。でも、いざ白紙で似た取引を出されると、どっちが借方だったか急に自信がなくなる。FPの係数や税金の計算も同じで、「読めば分かる」のに「自分で電卓を叩くと詰まる」。基本情報の科目Bのトレース(プログラムを1行ずつ追うやつ)にいたっては、解説どおりに目で追えば完璧に理解できるのに、自分で変数の値を書き出そうとすると、3行で迷子になる。

共通しているのは、ぜんぶ「手順を、自分の手で最後まで動かす」必要があるものだ、ということ。逆に、用語の意味みたいな“知識もの”は、読むだけでもわりと残る。だから、計算・手順ものほど「閉じて、自分で最後までやる」を徹底したほうがいい。私がいつも落としていたのは、決まってこっち側だった。

「わかった」と「できる」は、別の生き物

結局、これに尽きる。「わかった」と「できる」は、似ているけれど別の生き物だ。

レシピを読んで手順を“わかる”ことと、実際に作って食べられるものを“出せる”ことは違う。水泳の教本を完璧に暗記しても、プールに飛び込めば沈む。勉強もまったく同じで、解説を読んで分かった気になっても、自分の手で再現できなければ、1点にもならない。

そして悲しいことに、人間は「わかった」のほうが圧倒的に気持ちいい。だから無意識に、気持ちいいほうへ逃げる。私もずっと、逃げていた。

「わかったつもり」をあぶり出す、3つのセルフテスト

自分が“ほんとうにわかっている”のか“つもり”なのか。これは、次の3つで一発でバレる。

  • 白紙テスト:解説を閉じて、何も見ずにその問題を解く。手が止まったら“つもり”確定。
  • 説明テスト:その解き方を、誰かに(いなければ壁やぬいぐるみに)声に出して説明する。詰まったところが、分かっていないところだ。私はよくクッションに説明していた。傍から見るとやばい人だが、効く。
  • 言い換えテスト:同じ論点を、問題集とは違う言葉・違う数字で自分に出題してみる。それでも解ければ本物。元の問題でしか解けないなら、答えの“暗記”をしているだけだ。

どれも、たった1〜2分でできる。でも、この1〜2分を惜しんだ過去の私が、模試で何度も爆死した。テストして“つもり”だとバレるのは、ちょっと悔しい。でも、本番でバレるより100倍マシだ。

抜け出せたのは、たった一度「解説を閉じた」日から

転機は、地味だった。

ある日、間違えた問題の解説を読んで、いつものように「なるほど」と閉じようとした手を、ふと止めた。「待てよ、これ、今から自分で解けるか?」。試しに解説を伏せて、白紙に解いてみた。——解けなかった。さっき「なるほど」と思ったばかりなのに、3行目で手が止まった。

正直、けっこうショックだった。でも同時に、これだ、と思った。私がずっと飛ばしていたのは、この「閉じて、もう一度」の数十秒だったのだ。

それから私は、解説を読むたびに閉じて解き直すようにした。最初は時間がかかってイライラした。1問にやたら時間を食う。でも1か月もすると、模試の点が明らかに動き始めた。読むスピードは落ちたのに、点は上がる。不思議だが、当然のことだった。私はようやく、“読む”から“できる”に体重を移したのだ。

読めた、は勉強じゃない。閉じて再現できた、が勉強だ。

難しいことは何もない。やることは一つ、「解説を閉じて、もう一度自分で解く」。たったこれだけで、わかったつもりは“ほんとうにわかった”に少しずつ変わっていく。

今日やった1問でいい。解説を読んで「なるほど」と思ったその瞬間に、ページを閉じてほしい。そして、何も見ずに、もう一度。そこで手が止まったら——おめでとう、それがあなたの“次に伸びる場所”だ。

関連記事

勉強法記事一覧 学習法・勉強のコツの記事をもっと見る