最初に白状しておく。私はかつて、「過去問は、テキストを全部終わらせてから解くもの」だと固く信じていた。
順番として正しい気がするでしょう。インプットが終わってからアウトプット。教科書を読み切ってから問題集。学校でずっとそうやってきたのだから、疑う理由がない。——で、私はその“正しい順番”を律儀に守って、一度ちゃんと落ちかけた。今日はその話をする。
「一周してから過去問」を信じて、私は一周目で力尽きた
分厚いテキストを、1ページ目から丁寧に読み始めた。最初の数単元はやる気もあって、マーカーまで引いて完璧にやった。我ながらいい滑り出しだ、と思っていた。
問題は中盤からだ。だんだんペースが落ちる。前にやった範囲を忘れ始める。「あれ、ここ前にもやったよな…」と戻る。また進む。また忘れる。賽の河原みたいなことをしているうちに、気づけば試験まで残りわずか。テキストはやっと一周。さあ満を持して過去問だ、と開いた。
——解けない。びっくりするほど解けない。
あれだけ時間をかけて読んだのに、いざ問われると「こんな聞かれ方するの!?」の連続だった。知っているはずの言葉が、問題の中ではまるで別人の顔をしている。そこでようやく私は気づいた。私はテキストには詳しくなったが、試験には1ミリも詳しくなっていなかったのだ。残り時間で慌てて過去問を回したが、回数はぜんぜん足りなかった。受かったのは、正直、運がよかっただけだと思う。
過去問は“最後のテスト”じゃない。“地図”だ
あの失敗以来、私は過去問の使い方をまるごと変えた。過去問は、勉強の最後に自分を採点する“テスト”ではない。勉強を始める前に広げる“地図”だ。
地図には、これから歩く土地のことが全部書いてある。どこが何度も問われる繁華街で、どこがめったに人の来ない山奥か。配点はどこに集まっているか。どんな聞かれ方をするのか。これを先に知っているのと知らないのとでは、テキストの読み方そのものが変わる。
地図を持たずに歩くと、人は全部の道を等しく丁寧に歩こうとする。出ない論点も、出る論点も、同じ熱量で。それがまさに昔の私で、体力を“山奥”で使い果たしていたわけだ。地図を先に見ていれば、繁華街に時間を寄せられた。
ちなみに、地図の見え方は、科目で少し違う
ひとくちに過去問が地図だといっても、科目によって“地図に描いてあるもの”は少し違う。
簿記なら、描いてあるのは「仕訳のパターン」だ。同じ論点が、手を変え品を変え何度も出る。だから過去問を見ると、覚えるべき型がはっきり浮かび上がる。FP3級なら、出てくるのは「数字と制度」。控除額や年齢の区切りが、毎回ほぼ同じ顔で問われるから、地図を見れば“暗記すべき数字リスト”が勝手にできあがる。
基本情報なら、科目Bのアルゴリズム読解みたいに、知識よりも“慣れ”がものを言う問題がある。これは地図というより、何度も歩いて足で覚える登山道に近い。だから、とにかく早めに、何度も触る。——どの科目でも共通しているのは、地図を先に見たほうが、テキストのどこを濃く塗ればいいか分かる、ということだ。
だから私は、単元を1つ終えるごとに過去問を“のぞく”ことにした
具体的にどうするか。難しいことはしない。テキストを1単元読み終えたら、その範囲の過去問を、すぐ1〜2問だけのぞく。それだけだ。
ここで大事なのは、解けなくてまったく構わないということ。目的は得点することではなく、「この単元は、本番ではこういう顔で出てくるのか」と、出方を確かめること。一度その顔を見ておくと、次にテキストへ戻ったとき、読む場所の重さが変わる。「あ、ここ、さっきの問題で問われてたところだ」と、文字が急に立体的になる。
順番にすると、こんな感じだ。
- 単元をひとつ読む(完璧じゃなくていい。むしろ完璧を目指さない)
- その範囲の過去問を1〜2問のぞく(解けなくてOK、出方の確認)
- 「どこが問われたか」を見てから、テキストの該当箇所に戻る
- 次の単元へ進む
この「のぞく→戻る」を挟むだけで、同じテキストを読んでいるのに頭への残り方がぜんぜん違う。インプットとアウトプットを分厚い壁で仕切るのをやめて、薄く交互に重ねるイメージだ。
「解けない過去問」は、戻る場所を教えてくれる矢印
早く過去問に触れると、当然たくさん間違える。ここで落ち込む人がとても多い。昔の私もそうだった。×が並ぶと、自分の頭が悪い証拠を突きつけられている気がして、つらい。
でも、考え方を一つ変えてほしい。間違いは「ダメだった記録」じゃない。「ここに戻れば点が増える」という矢印だ。解けなかった問題は、テキストのどの場所に弱点があるかを、タダで正確に教えてくれている。これほど親切なナビはない。
だから私は、間違えるたびに落ち込む代わりに、戻る場所をメモするようにした。落ち込んでいる時間はゼロ点だが、戻る場所をメモした時間は、そのまま次の得点につながる。同じ「間違えた1問」でも、どっちに時間を使うかで価値がまるで違ってくる。
ただし、同じ過去問を3周すると、人は答えを“覚えて”しまう
早くから過去問を回すと、当然、同じ問題を何度も解くことになる。ここに、地味だけど見落としがちなワナがある。3周目あたりで、人は問題を“解いて”いるのではなく、答えを“覚えて”いるだけになるのだ。
「答えはウ!」と即答できて、気持ちがいい。正答率も上がる。でもそれは、設問を見た瞬間に答えの記号を思い出しているだけで、中身を理解しているとは限らない。本番では選択肢の順番も言い回しも違う。覚えた記号は、そこでは何の役にも立たない。
対策はシンプルだ。正解できた問題ほど、「なぜそれが正解で、ほかはなぜ違うのか」を一言で言えるか、自分に聞く。言えれば本物、つまったら“覚えていただけ”。前に別の記事で書いた「閉じて再現できるか」と、結局は同じ話なのだけど、過去問はとくにこのワナにハマりやすい。記号を覚えるな、理由を覚えろ、である。
直前期になったら、時間を計って“本番のフリ”をする
単元ごとに過去問をのぞくのを続けて、ひととおり範囲が回り始めたら、最後の仕上げが残っている。今度は1回分を通しで、本番とまったく同じ制限時間を計って解く。
ここで鍛えるのは知識じゃない。時間配分だ。どの問題にどれだけかけるか、どこで見切りをつけて次へ行くか、見直しに何分残すか——この“段取り”は、ぶつ切りで解いている限り絶対に身につかない。通しでやって初めて、「あ、この大問に時間をかけすぎると最後が死ぬ」と体でわかる。
捨て問の判断も同じだ。本番では、解けない問題に粘って共倒れになるのがいちばん怖い。「これは後回し」と一瞬で見切る勇気は、通し練習で何度か痛い目を見ておかないと、本番でいきなりは出せない。だから直前期の通し練習は、知識の確認というより“度胸の予行演習”だと思っている。
「過去問は何年分やればいい?」への、私の答え
よく聞かれるので書いておく。「何年分やればいいですか」。私の答えは、“手に入る分は全部、ただし新しいものから”だ。
古い年度は、制度や数字が今と違っていることがある。とくにFPや簿記は、法改正や基準の変更で「昔は正解だったけど今は違う」が普通に起きる。だから、古すぎる過去問の細かい数字を一生懸命覚えるのは、ちょっと危ない。まずは直近の数年を、出方をつかむまで何周もする。余裕が出てきたら、さかのぼって量を稼ぐ。古い問題は“パターン慣れ用”と割り切って、細かい数字は最新版のテキストで上書きしておけば安全だ。
正直に言う。過去問は“解いた後”からが本番だ
ここまで「早く過去問に触れろ」と散々言ってきたが、最後にいちばん大事なことを白状しておく。点が伸びるのは、過去問を解いた瞬間じゃない。解いて、丸をつけて、間違えたところを“もう一度やり直した”瞬間だ。
昔の私は、過去問を解いて、答え合わせをして、点数に一喜一憂して、それで満足して閉じていた。これだと、間違えた問題は次も同じように間違える。当たり前だ、直していないのだから。解きっぱなしの過去問は、地図を広げて「ふむ」と眺めただけで、一歩も歩いていないのと同じだった。
やることは難しくない。間違えた問題に印をつけておいて、翌日か、次に机に向かった日に、その印の問題“だけ”をもう一度解く。それだけで定着がまるで違う。新しい問題を1問増やすより、昨日間違えた1問を潰すほうが、たいてい点は増える。過去問は“こなした数”じゃなく、“直した数”で効いてくる。
結論:「まだ早い」と思っている今が、ちょうどいい
「過去問なんて、まだ全然終わってないのに解けるわけがない」——わかる。その気持ちはものすごくわかる。でも、その“まだ早い気がする”が、たぶんちょうどいいタイミングだ。少なくとも、全部終わってからでは、私みたいに回数が足りなくなる。
今日読んだ範囲でいい。たった1問でいいから、その単元の過去問を、こわごわでものぞいてみてほしい。解けなくていい。「本番はこんな顔で出るのか」とわかった、その一回が、地図の最初の1マスになる。
過去問は、最後にとっておくごほうびじゃない。最初に広げる地図だ。