「昨日あんなに完璧に覚えたのに、今日になったら、きれいさっぱり忘れている」。——勉強していて、この絶望を一度も味わったことのない人は、たぶんいない。少なくとも私は、数えきれないほど味わってきた。
覚えては忘れ、覚えては忘れ。あまりに忘れるので、「自分は人より記憶力が悪いんじゃないか」「そもそも向いてないんじゃないか」と本気で落ち込んだこともある。でも、いろいろ試してみて、ひとつだけ確信したことがある。忘れるのは、あなたの頭が悪いからじゃない。むしろ、脳がちゃんと働いている証拠ですらある。今日はその話と、忘れることとの付き合い方を書く。
まず安心してほしい。忘れるのは、あなたのせいじゃない
人間の脳は、覚えたことを、放っておくと猛烈な勢いで忘れていくようにできている。これは根性や才能の問題ではなく、もともとそういう仕様なのだ。
19世紀に、エビングハウスという心理学者が、自分を実験台にしてこれを調べた。意味のない文字の並びを覚えて、時間がたつとどれだけ忘れるかを記録したのだ。結果は身もふたもなくて、覚えた直後から、坂を転げ落ちるように忘れていく。数時間後、1日後と、記憶はぐんぐん減っていった。
逆に言えば、これは「みんな同じ」ということでもある。あなたが昨日のことを忘れているのは、サボったからでも、出来が悪いからでもない。脳は、入ってきた情報を「これは本当に大事?」とふるいにかけて、使わないものをどんどん捨てる。捨てるからこそ、新しいことを入れる余地ができる。忘れるのは、ある意味、健康な脳のしるしなのだ。
昨日完璧だった勘定科目が、今朝には霧の中
えらそうに脳の話をしたが、私自身がいちばんのザル頭だ。具体的に白状しよう。
簿記の勉強をしていたとき、夜に勘定科目の分類をバッチリ覚えて、「よし、完璧」と満足して寝た。翌朝、同じ問題を解いたら、半分も出てこない。あれだけ自信があったのに、頭の中に霧がかかったようになっている。FPの数字(控除額や年齢の区切り)も同じで、覚えた数字が数日でこっそり入れ替わり、別の数字になっている始末。基本情報の用語にいたっては、似た横文字が多すぎて、覚えるそばから上書きされていく感覚すらあった。
当時の私は、これを「自分の記憶力のせい」だと思って、ただ落ち込んでいた。でも、本当の問題は記憶力じゃなかった。覚え方——正確には“復習の仕方”が、脳の仕様に合っていなかっただけだったのだ。
コツは“忘れる前に、もう一度思い出す”の繰り返し
脳が忘れる仕様なら、戦い方は決まってくる。「一回で完璧に覚えよう」とするのをやめて、「忘れかけたころに、もう一度思い出す」のを、何度も繰り返すのだ。
思い出すたびに、脳は「お、この情報、また使うのか。じゃあ大事なやつかも」と判断して、記憶を少しずつ強くしていく。一度きりだと「使わないや」と捨てられる情報も、間隔をあけて何度も呼び出されると、「これは残しておこう」と棚の奥から手前へ移される。これが、間隔をあけて復習する——いわゆる間隔反復の正体だ。
ポイントは“間隔をあける”ところにある。覚えた直後に5回連続で見ても、あまり効かない(まだ忘れていないので、脳が必死にならない)。少し忘れて、思い出すのにちょっと苦労するくらいのタイミングが、いちばん記憶に効く。サボって忘れていた時間すら、じつは味方になっているのだ。

白猫:忘れてる自分にがっかりしなくていいよ。“ちょっと忘れたころ”が、思い出すのに一番おいしいタイミングなんだ。
具体的には、こんな間隔で復習をはさむ
では、どれくらいの間隔をあければいいか。きっちりした唯一の正解があるわけではないが、私がやってみて手応えがあったのは、だいたいこんなリズムだ。
- その日のうちに1回(寝る前に、ざっと思い出す)
- 翌日にもう1回(たいてい半分くらい忘れていて、ちょうどいい)
- 3〜4日後に1回
- 1週間後に1回。そのあとは2週間後・1か月後…と、間隔をのばしていく
最初は間隔を短く、だんだん広げていくのがミソだ。回を追うごとに忘れにくくなるので、毎回べったり張りつく必要はなくなる。完璧な日程にこだわるより、「昨日やったぶんを、今日ちょっと思い出す」を習慣にするだけで、定着はまるで変わる。単語帳アプリの多くは、この間隔を自動で管理してくれるので、用語や数字の暗記とは相性がいい。
“見直す”では足りない。“思い出す”が効く
ここで、いちばん間違えやすいポイントを念押ししておきたい。復習というと、多くの人はノートや解説を“もう一回読むこと”だと思っている。でも、ただ見直すだけでは、驚くほど残らない。
効くのは「見る」じゃなくて「思い出す」だ。教科書を閉じて、何も見ずに「あの勘定科目、なんだっけ」「あの控除額、いくらだっけ」と、自分の頭から引っぱり出す。この“引っぱり出す”作業そのものが、記憶を強くする。——これは、以前『わかったつもり』の記事で書いた「解説を閉じて、自分で再現する」と、まったく同じ話だ。読めた、は記憶じゃない。閉じて思い出せた、が記憶だ。

黒猫:ノートを眺める時間を“勉強した”と数えるな。閉じて思い出せた回数だけが、本番で効く。
“思い出す”は、生活のすきまに仕込める
「思い出す復習が大事なのはわかった。でも、机に向かう時間がそんなに取れない」。——わかる。私も社会人で、まとまった時間なんて、めったに取れなかった。
でも、“思い出す”のいいところは、机がいらないことだ。教科書を開く必要すらない。通勤電車で「昨日の論点、なんだっけ」と頭の中でクイズを出す。歩きながら「あの仕訳、借方は何だっけ」と自分に問う。これだけで、立派な間隔反復になる。
以前『時間がない人へ』の記事で“すきま15分”の話を書いたけれど、思い出す復習は、その15分とも相性が抜群だ。見るんじゃなくて、思い出す。それなら、片手がふさがっていてもできる。忘れたころに、頭の中でちょっと引っぱり出す——それを1日に何回かやるだけで、記憶のもちは、ずいぶん変わってくる。
ついでに言うと、“丸暗記”ほど忘れやすい
もうひとつ、忘却と戦ううえで大事なことがある。同じ「覚える」でも、意味のわからないまま丸暗記したものは、群を抜いて忘れやすい。
エビングハウスがわざわざ“意味のない文字列”で実験したのは、裏を返せば、意味のあるものはもっと忘れにくい、ということでもある。バラバラの数字や用語は、脳にとって取っかかりがなくて、すぐに滑り落ちる。でも、「なぜそうなるか」が腑に落ちていたり、ほかの知識とつながっていたりすると、記憶は引っかかって残りやすい。
だから私は、覚えられない項目に出会ったら、丸暗記する前に「これ、なんでこうなるんだっけ」と、一回だけ理由を探すようにしている。簿記の仕訳なら“お金がどう動いたか”、FPの数字なら“なぜその年齢で区切るのか”。理由ごと覚えたものは、多少忘れても、理由から手繰り寄せられる。覚える量を減らすいちばんの近道は、じつは「先に理解しておくこと」だったりする。
だから「一夜漬け」は、ザルで水をすくうようなもの
ここまで来ると、一夜漬けがなぜ抜けやすいのかも、すっきり説明がつく。前の晩に一気に詰め込むのは、間隔ゼロ・思い出しゼロ。脳に「大事かも」と思わせる回数が、決定的に足りないのだ。
試験の朝までは、勢いで何とかもつかもしれない。でも、たいていそこがピークで、本番の午後にはもう半分こぼれている。同じ合計時間をかけるなら、一晩に固めるより、薄く何日かに散らして、毎回“思い出す”ほうが、ずっと多く残る。急がば回れ、は暗記においては本当だ。
そして、寝ているあいだに記憶は“保存”される
地味だけれど、効く話をもうひとつ。覚えたことは、寝ているあいだに脳が整理して、長期の記憶へ移してくれると言われている。日中に詰め込んだ情報を、睡眠中にせっせと“保存処理”しているイメージだ。
これは、一夜漬けがイマイチな、もうひとつの理由でもある。徹夜で詰め込むと、覚える時間は稼げても、その記憶を保存してくれるはずの睡眠を、自分の手で削ってしまう。二重に損なのだ。だから試験前夜にやるべきは、不安にまかせて夜ふかしで詰め込むことより、軽く思い出してから、ちゃんと寝ること。——とはいえ、わかっていても、なかなか難しいんだけどね。
忘れることを、味方につける
だから、忘れることを、もう敵だと思わなくていい。忘れるのは脳の仕様で、しかも“忘れかけたころに思い出す”という一番効く復習は、適度に忘れてくれないと成立しない。つまり、ほどよく忘れることすら、こちらの味方なのだ。
覚えたそばから忘れて落ち込んでいる人に、いちばん伝えたい。あなたの記憶力は、たぶん壊れていない。ただ、脳の仕様に合った“思い出し方”を、まだ知らなかっただけだ。今日覚えたことを、明日ちょっとだけ、何も見ずに思い出してみてほしい。半分忘れていたら、大成功。そこが、記憶のいちばん伸びる場所だから。
忘れるから、覚えられる。「忘れかけたころに思い出す」が、記憶のいちばんおいしいところだ。